2015年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年04月

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フォッケウルフ

1

ドイツ空軍の名機フォッケウルフ

零戦21型と性能比較
スピード
fw:676km 零戦:537km
旋回
fw:19.5秒 零戦:16.3秒
火力
fw:7.7mm*4 20mm*2 零戦:7.7mm*2 20mm*2

旋回以外はfwの方がspecが高い。


フォッケウルフFw 190は、第二次世界大戦時のドイツ空軍の戦闘機である。この機体はメッサーシュミットBf 109とともにドイツ航空戦力の主力を担った。愛称は「ヴュルガー」(百舌(鳥))。設計はクルト・タンクによる。
本機は強力な空冷エンジンを搭載し優れた飛行性能を見せたほか、機体が頑丈で発展性に余裕があり、戦闘爆撃機型や対爆撃機型、高速偵察機型など様々な派生型が生産され、さながら「軍馬」のごとくよく過酷な戦場に耐えて大戦を戦い抜いた。1944年にはエンジンを液冷のJumo 213 Aに換装したFw 190 D-9型が登場した。
大戦末期に開発されたさらなる改良型は、設計者であるタンクの名称を取ってTa 152と命名された[* 1]。
シリーズの総生産数は20,000機以上。
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| WarThunder | 20:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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奇跡的な着陸

1
イタリアの複葉機で奇跡的な着陸を果たす。
これ、中の人は大丈夫じゃないだろw

2
そして奇跡的に6機も撃墜してた。
無双w

| WarThunder | 21:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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メッサーシュミット

1

ヒーローズインザスカイでの愛機。
初期型のためか20mmは積んでいない。
7.92mm✖️4の機銃である。
爆撃機を落とすのはきついぜ。

Bf 109(Bf 109)は、第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発されたとされ、機体重量に比し小さく薄い主翼を持ち、モーターカノンや主脚のエンジンマウントなど、特徴のある設計となっている。

単葉、全金属・応力外皮式、モノコック構造、密閉式の風防、引込脚などの第二次世界大戦で標準形態となったものを世界に先駆けて備えたドイツ空軍の単座戦闘機。He 112との激しい競争試作の末に採用された。スペイン内戦のコンドル部隊に3機が試験的に投入されてデビュー、以後、改良を重ねて第二次世界大戦終了まで実質的な主力戦闘機の座を保った。
スピードを第一にし、急横転(スナップ・ロール)、スピン性能、ダイブ性能に優れる。一撃離脱の戦法に特化して開発された。反面、開発時は陸戦の直援機としての性格が強かったため航続力は短い。バトル・オブ・ブリテンでは、スピード重視だったこともありスピットファイアに追い散らされ、爆撃機を狙うハリケーンにも機動力で劣っていたために護衛戦闘機の任務は果たせなかった[4]。総生産機数は工場での修理再生分を含めて約30,500機で、戦闘機史上最多である[5]。
回数は少なかったが、アメリカ海軍やイギリス海軍のグラマンF4F ワイルドキャットやF6F ヘルキャット、さらに地中海でP-39と戦った。

| WarThunder | 21:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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He 51

1.png

ドイツ機始めました。
デザインがいいね。

He 51は戦間期におけるドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の複葉単座戦闘機である。ナチス・ドイツによる再軍備後の新生ドイツ空軍の最初の主力戦闘機となった。

第一次世界大戦に敗れたドイツ軍は航空機の保有を禁じられていた。このためハインケル社はスポーツ機の名目で戦闘機の開発/試作をしてきた。ハインケル社はHD37、HD38、HD43に続き、1932年にはすぐれた性能を持つ複葉戦闘機He 49aを開発した。空軍再建をすすめるドイツ航空省はHe 49aに注目し、改良を加えたHe 51の試験開発が進められた。He 51は、すでに生産配備されていたAr 65に代る主力機として期待された。
1933年、航空省は宣伝機の名目でHe 51Aを発注。1935年3月1日、ドイツが再軍備宣言をするとHe 51Aは新生ドイツ空軍の主力戦闘機として大いに宣伝された。

| WarThunder | 11:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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F2A

2

なんとなく米国の戦闘機を乗り始めてみた。
なんとなくフォルムがマグロっぽい。
で、同ランクの日本機にくらべ旋回性能がひどい。
格闘戦になろうもんなら、すぐに失速して墜落しそうになる。
けど直線は速い。一撃離脱でokpk

ブルースター F2A(Brewster F2A)はアメリカ海軍の艦上戦闘機。開発はブルースター社が担当した。イギリス空軍での愛称はバッファロー(Buffalo)。

アメリカ海軍の艦上戦闘機の近代化のための1936年の要求は単葉機であること、折りたたみ翼、引き込み脚、密閉式コクピットをもつことであった。ブルースターもグラマン社、セバスキーとともに競争試作に参加した。なお、このときグラマン社が提出したものは、後に改良されF4F ワイルドキャットとなっている。

| WarThunder | 20:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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零戦三二型(A6M3)

22

研究中の三二型をテスト飛行。
翼の先端が四角いゼロ戦です。
ゼロ戦は旋回性能はいいんだけど、スピードがなぁ。
それとやっぱ被弾するとすぐに火ふくのがきつい。

終戦まで生き延びた海軍エースの本田稔さんいわく、ゼロ戦はスポーツ用の戦闘機らしい。
なぜならパイロットもエンジンもタンクも守られていなかったから。
海軍の本当の戦闘機は紫電改らしい。

wiki
三二型は実用化後初の大規模な改修が施された性能向上型であり、1942年4月頃から量産が開始され、同年秋頃には実戦投入された。エンジンを2速過給機付きの栄二一型(離昇1,130hp)に換装し、二一型の主翼端の折り畳み部分を切り落としたように50cmずつ短縮している点が特徴である。二一型に比べてエンジン出力が向上すると共に過給機の変速数が2速となり、高高度での速度の向上が見込まれていた。また翼面積を減らすことで空気抵抗を抑え、速度と横転性能を向上させることも狙っていた。実際、速度・上昇力・上昇限度の各数値は二一型に比べて向上しており、急降下性能や横転性能も改善されている。また20mm機銃そのものは短銃身の一号銃ではあるものの、携行弾数を60発から100発に増やすことで武装強化が図られている(試験的に長銃身の九九式二号20mm機銃や二式30mm機銃に換装した機体も数機作られ、ラバウルに送られている)。しかし、配備初期はエンジンにトラブルが多く、また機体改修に伴う燃料タンク容積の削減により航続距離・航続時間が低下している(主翼短縮やエンジン換装は航続力低下にほとんど影響していない[2])。折りしも実戦配備時期が長大な距離を往復する航空作戦が中心となったガダルカナル攻防戦と重なってしまい、航続距離の減少が問題となった(二号零戦問題)ため、燃料搭載量を増した二二型の開発・配備が促進されたことから、期待を担って登場したにも関わらず、生産数は三菱での343機に留まった。但し、1942年秋までにブカ島やブーゲンビル島のブインに前進飛行場が整備されてからは航続距離の低下はほとんど問題にならなくなり、ブインからであれば三二型でもガダルカナル上空で空戦を一時間行っても帰還できるようになった。また1943年春に小福田租少佐が纏めた「戦訓による戦闘機用法の研究」には二号零戦は高速時の横転操作が軽快なので空戦で有利という記述がある。なお連合国軍での零戦のコードネームはZekeであったが、本型はその翼端の形状から零戦とは異なる機種と認識されたため、新たにHampというコードネームが与えられており、1943年6月付けの米海軍日本軍機識別帳では「南太平洋戦域において最も重要な戦闘機のひとつ」と評価されている。

| WarThunder | 21:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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はじめての1位

1

対人戦で初めて1位になったので記念に。
ま、作戦は失敗しんですけど・・・。

それと、試しにiPhoneについてきたイヤホンをmacに接続してplayしてみたのですが、機関砲や対空砲の重低音がすげー。たのしすぎるw

| WarThunder | 10:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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零戦

1
艦これ 赤城

2
マクロス バルキリー

4.png
永遠の0

| WarThunder | 21:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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三式戦闘機 一型甲 (キ61-I 甲)

1

イマイチな点
零戦の20mmにくらべ12.7mmの機関砲なので火力が低い。
もっさりしていて、格闘戦は無理くさい。

なかなかな点
ただバトルレートは零戦より低い。
機関砲の命中精度は良い。

三式戦闘機
三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発し、1943年(昭和18年)に制式採用された戦闘機である。開発・製造は川崎航空機により行われた。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である[1]。ドイツの液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40を搭載した、当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機である。防弾装備のない試作機は最高速度590km/hを発揮したが、防弾装備や燃料タンク等を追加した量産機では鈍重な戦闘機になり下がり、アメリカ軍に「もっとも食いやすい戦闘機」という印象を与えている。基礎工業力の低かった当時の日本にとって不慣れな液冷エンジンハ40は生産・整備ともに苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られる。ハ40の性能向上型であるハ140のエンジン生産はさらに困難であり、これを装備する予定であった三式戦闘機二型はわずか99機しかエンジンが搭載できず、工場内に首無しの三式戦闘機が大量に並ぶ異常事態が発生した。そこで星型空冷エンジンを急遽搭載した日本陸軍最後の制式戦闘機[* 1]、五式戦闘機が生産された。

一型甲 (キ61-I 甲)
1942年8月から1943年9月生産[288]。最初の量産型である。 日本陸軍は航空機関砲の開発で遅れを取っており、1940年または1941年まで12.7mm航空機関砲を、また事実上1944年まで20mm航空機関砲を持たなかった[289][290]。12.7mm航空機関砲の試作が決定したのは、1940年になってからのことである。このため1941年に制式化された12.7mm機関砲(ホ103 一式十二・七粍固定機関砲)は1940年に100門、1941年度に439門が生産されたが[* 18]この時点では数が不足しており、また信頼性もまだ高い物ではなかった[291][* 19]、このため、機首に12.7mm機関砲2門と翼内に7.7mm機関銃(八九式固定機関銃)2挺と言う装備になっている。 燃料タンクは防漏仕様で、初期には3mm厚のゴムと10mm厚のフェルトで覆っていたものが、421号機からは上面9mm、側面6mmのゴムに改められている[78][296]。機体番号113から500まで、388機生産[

| WarThunder | 09:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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一式戦闘機

隼の一型と二型が完成。陸軍機。

wiki
一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしき-)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発・製造は中島飛行機[注 1]。
四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争(大東亜戦争)における主力機として使用された。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位

01

一型(キ43-I)
ハ25を装備した最初の生産型。武装は増加試作機や極初期量産型は7.7mm機関銃2挺(一型甲:キ43-I甲)だが、開戦前に7.7mm機関銃1挺+12.7mm機関砲1門に強化(一型乙:キ43-I乙)し、また更に12.7mm機関砲2門に換装(一型丙:キ43-I丙)された。生産当初から7.7mm弾対応の防漏タンク(防弾タンク)を装備。1941年4月から量産され6月より部隊配備された。1943年中に大半の実戦部隊では二型(キ43-II)に改編され第一線を退き、1944年末頃まで標的曳航機や訓練機として運用された。いきすぎた軽量化のために機体強度に問題があり、例として1942年7月31日のビルマにおける空中戦では、急降下するP-40を追尾した3機の一型が、引き起こしの際に両翼が折れて失われている。

02

二型(キ43-II)
一型の欠陥を改善、機体構造が強化され降下制限速度が一型の500km/hから600km/hにまで引き上げられた他、エンジンをハ115に換装、これに伴いカウリングも抵抗の少ない丸みを帯びた形に変更され、一型ではカウリング内に環状式に装備されていた潤滑油冷却器がカウリング下に移されている。さらに左右主翼端を30cmずつ短くし、プロペラを2翅から3翅に、照準器は眼鏡式(八九式照準眼鏡)から光像式(一〇〇式射撃照準器)に、操縦席の天蓋(キャノピー)も一型の平面構成から枠が少ないよりスマートな曲面構成となった。武装は12.7mm機関砲2門、防漏タンクは12.7mm弾対応に強化されたほか、1943年6月生産の第5580号機から操縦席背面に厚さ13mmの12.7mm弾対応防弾鋼板(防楯鋼板)を追加装備した。1942年2月にキ43-II試作1号機が完成し同年11月から量産開始、1943年1月より実戦配備された。一式戦の各型のうち最多生産型。
前期生産型では一型と同様の集合排気管であったが、排気のロケット効果を利用して速度を向上させるため、後期生産型では推力式集合排気管に変更し最高速度が536km/hに向上、さらに効果の高い推力式単排気管を採用し最高速度を548km/hまで向上させた。なおこの排気管は二型を三型に改造する現地改修用キットが、末期生産型の二型に転用されたものであった。

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九七式艦上攻撃機

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九七式艦上攻撃機(きゅうななしきかんじょうこうげきき)は日本海軍の艦上攻撃機。[1] 競争試作された2機種が両方とも採用されたため、この名を持つ飛行機には全く設計の異なる中島製(B5N)と三菱製(B5M)の2種類が存在するが、通常は中島製(B5N)を指す。
昭和10年(1935年)に海軍が中島飛行機、三菱重工業に十試艦上攻撃機としての競争試作を命じ、昭和12年(1937年)に中島案を九七式一号艦上攻撃機、三菱案を九七式二号艦上攻撃機として、共に採用した。競争試作であるにもかかわらずどちらも採用された理由は、両者の間に決定的な性能差がなかったためである。

日本海軍としては、初の全金属製の低翼単葉機であり、一号型は国産単発機初の引込脚を採用。それまでの九六式艦上攻撃機に比べ、最高速度は約100km/hも向上した。乗員は3名。「九七式艦攻」または、「九七艦攻」と省略して表記されることがある。アメリカ側のコードネームは中島製の一号/三号がKate(ケイト)、三菱製の二号がMabel(メイベル)。


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空母への着艦もだんだん慣れてきました。
艦攻できたからには魚雷の練習もできるなあ。

低空飛行の雷撃隊。かっこよす。

| WarThunder | 09:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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九九式艦上爆撃機

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初の爆撃機はやっぱこれ。九九艦爆。

愛知 九九式艦上爆撃機(あいち きゅうきゅうしきかんじょうばくげきき)は、昭和11年(1936年)「十一試艦上爆撃機」として試作が始まり、愛知航空機(1943年愛知時計電機から独立)が受注・生産を行い、太平洋戦争初期に活躍した、日本海軍の艦上急降下爆撃機。通称「九九式艦爆」、もしくは「九九艦爆」。記号はD3A。アメリカ側コードネームはVal(ヴァル)。

a.jpg

公式からユーザースキンをダウンロードしてこのカラーリング。
帝国海軍のエース江草隆繁少佐モデル。

江草 隆繁(えくさ たかしげ、1909年(明治42年)9月4日 - 1944年(昭和19年)6月15日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。五二一空陸上爆撃機搭乗員として参加したあ号作戦で戦死した。最終階級は海軍大佐。
12月8日、真珠湾攻撃に参加。太平洋戦争開戦。 江草は、嶋崎重和少佐を総指揮官とする第二次攻撃隊の急降下爆撃隊78機を指揮。嶋崎少佐直率の水平爆撃隊54機、進藤三郎大尉率いる制空隊35機とともに、第一次攻撃隊の機影が姿を消した直後の真珠湾上空に姿を現す。あたりは敵の高角砲弾が撃ち上げる弾幕でかすんでいたが、濃緑色の地に虎の縞模様の入った江草指揮機は大胆にも4000mという危険な高さから、弾幕を突き切って大編隊のまま湾上空を大きく旋回し一巡。これは第1次の戦果確認と第2次の攻撃目標を見極めるための冷静沈着な行動だった。

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零戦二一型

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零戦二一型(A6M2b)

真珠湾攻撃に参加した零戦です。
やっぱ零戦はこの二一型だよなぁ、個人的に。


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ということで、さっそく空母からの離着艦の訓練。
かっこよす・・・。


二一型は一一型を基に空母への搭載を前提として本格的に量産された型である。一一型同様、採用当時の制式名称は「零式一号艦上戦闘機二型」だった。零戦の翼幅12mは空母のエレベーター寸法を考慮して決められていたが、実際に運用してみると不都合が多く(翼端がエレベーターに当たるため斜めに載せなければならないなど)[1]、翼端を50cmずつ折り畳める機能が追加された他、一一型では省略されていた着艦フックや無線帰投方位測定器といった艦上機用装備も追加された(着艦フックや無線帰投方位測定器は一一型の後期生産18機も装備または装備可能になっている)。真珠湾攻撃を始めとする太平洋戦争の緒戦に実戦投入され、その長大な航続距離と卓越した運動性能、20mm機銃2挺の大火力はアメリカ軍に衝撃を与え、当時の日本軍の快進撃と相まって多くの零戦伝説を生み出すこととなった。開戦直前に起きた下川事件の対策として主翼強度を増す設計変更が行われた結果、採用当初には509.3km/hだった最高速度が533.4km/hにまで向上している。生産数は三菱製が740機、昭和19年春まで生産された中島製(ライセンス生産)が2,821機であった。

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零式艦上戦闘機

無題
零戦一一型(A6M2a)・・・零式一号艦上戦闘機一型

零戦として正式採用された初期モデルかな?
母艦機では無いぽいな。
早く二一型作って空母への着艦してみたいなあ。

wiki
重慶へ爆撃を行っていた爆撃機の援護機として活躍、昭和15年9月13日に重慶上空で初空戦を行い、日本側の記録ではI-15とI-16で構成された中華民国軍戦闘機27機を零戦13機が無損失で全機撃墜したという伝説的戦果を報じている

| WarThunder | 22:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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九六式艦上戦闘機

無題

九六式艦上戦闘機(きゅうろくしきかんじょうせんとうき)は、日本海軍の艦上戦闘機である。海軍初の全金属単葉戦闘機。試作機は「九試単座戦闘機」。連合軍のコードネームは「クロード(Claude)」。後継機は零式艦上戦闘機。

| WarThunder | 15:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ざ・名人戦



これぞ名人戦。

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九十五式戦闘機一型

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warthunderという海外の無料GAMEです。
言語選択で日本語も選べるので便利便利。

要求スペックも低いです。
ふつうにDOLが動くPCなら余裕でしょう。

現時点では航空機を使った空戦と戦車を使った陸戦ができる模様。
今後は戦艦を使った海戦も実装されるぽい?

とりあえず空戦から初めてみます。もちろん国籍は日本。
で、初期戦闘機がこの九十五式戦闘機。かっこよす。

私の名前はshido_feminiです。
戦場で会ったらお手柔らかに。

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上記SSは二度目の戦闘結果です。
撃墜3 被撃墜1 

以下wikiより。
九五式戦闘機(きゅうごしきせんとうき)は、日本陸軍の戦闘機。試作名称(機体計画番号。キ番号)はキ10。呼称・略称は九五戦、九五式戦など。連合軍のコードネームはPerry(ペリー)。開発・製造は川崎航空機。

陸軍最後の複葉戦闘機であり、主に日中戦争(支那事変)初期の主力戦闘機として使用された。

| WarThunder | 09:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

2015年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年04月

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